JAL123便墜落の象徴である、坂本 九

坂本 九さんの大ヒット曲、「上を向いて歩こう」別名は、「Sukiyaki」です。Sukiyakiのレコードジャケットは、坂本さんが火薬箱に腰掛けているものでした。この歌は、作詞「永 六助」、作曲「中村 八大」で、8・6・9という数字の名前をもつ人物で構成されています。火薬箱・8月6日・9日と考えると、原爆投下を忘れるなよ、とのメッセージが込められているのかも知れません。

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JAL123便墜落は複数の目的があったのかも知れません。一つは、ハウス食品の当時の社長である、浦上 郁夫さんが搭乗し、死亡した事です。グリコ・森永事件とは、あらかじめ食品株に空売りを仕込んでおいた上で、グリコ・森永を脅迫して荒稼ぎをした金融犯罪の可能性が高いと思います。この裏事情を知っていた浦上さんが、JAL123便もろとも消されたのかもしれません。しかし浦上さん一人を暗殺するのに、これだけの大掛かりな芝居を打つでしょうか。私は坂本 九さんが、ある象徴として殺されたと思うようになってから、JAL123便墜落の最もな要因は、プラザ合意にあると確信を深めました。

答えは、イギリスの産業革命にあると思います。イギリスは18世紀後半に、世界の工場として圧倒的な力を手に入れました。しかし新興国に技術流出が起こり、もっと安価な製品を作られてしまい、逆にイギリスは安価な新興国の製品を輸入せざるを得なくなります。ちょうど今の日本と中国の関係に似ています。にも関わらずイギリスは、ポンド高や金本位体制を継続したので、新興国のドイツや、特にアメリカに覇権が移動しました。イギリスからアメリカに覇権が移動したのは、金融家の計画の範囲かもしれませんが、イギリスを見てきたアメリカは、同じ過ちを避けました。それがプラザ合意なのです。

JAL123便墜落は85年の8月12日で、プラザ合意は85年の9月22日に決定されました。70年代には、Japan as No.1と呼ばれ、世界の工場、つまり覇権がアメリカから日本に移動しようとしていました。それを阻止したのがプラザ合意です。プラザ合意を発表した翌日、円は米ドルに対して20円も高くなり、1年後には150円台となりました。つまり日本が世界の工場として巻き上げた70年代に、アメリカは金とドルの交換を廃止し、以降20年かけて1ドル360円から100円割れ(79円台)にしてドル安に成功しました。ドルの価値を意図的に下げ、アメリカ国内の輸入製品の値段を上げる効果を生みだした事で、イギリスの二の舞を踏まずに済んだのです。

アメリカは自国から、金(ゴールド)を流失させないように、ドルと金の兌換を停止し、為替をドル安に誘導しました。アメリカは世界の工場、つまり製造業世界No1を日本に譲った上で、変動通貨制を利用し覇権の座は固持したのです。覇権は新興国に移動する運命があるのです。日本の製造業は確かに優秀ですが、覇権が日本へ移動し、そののち中国へ移動するのは歴史の必然なのかもしれません。その必然を金融工学で防いだのが、プラザ合意でしょう。くどい様ですが重要な事柄だと思います。

1985年9月22日、日本は再びアメリカに敗戦したのです。一部の方がJAL123便墜落の最もな理由としてプラザ合意を挙げるのに、私も同じ意見です。プラザ合意の前日まで1ドル235円をキープしていた日本、このレートで日本の優秀な製品を輸出していれば、日本は世界強国になれたはず‥。しかし、この状況をアメリカが許すはずがありません。JAL123便墜落はアメリカの脅しだと思います。その象徴として坂本 九さんが巻き沿いになったのだと、私は理解します。

-しかし、その歪として-
ジョージ・ソロスの言葉ですが、レーガン政権から超バブルが始まったのだと。一つのバブルが弾けると、金融緩和を行い次のもっと大きいバブルで補う。補いきれない結果が、リーマンショックであったと述べています。つまり麻薬患者と同じなのです。麻薬が切れたので、もっと多くの麻薬を使用していき、最後には麻薬に耐えることが出来ない体となってしまったのが、アメリカの姿なのです。


~参考にさせて頂いた資料~
だいだいこんさんの掲示板の書き込みより
http://9311.teacup.com/daidaikonn/bbs/720

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