完全

始めに、この記事は真白面に読まないでください(笑)

映画やドラマを見ていますと、必ずしもな美人が主役となっていない事に気づかれるでしょう。いえ、確かに美人ではあるのですが、絶世の美女とはいえないということです。なぜそうなのかと考えますと、目には目、歯には歯を、踏まえますと、不完全には不完全なのではないかと思うのです。

これまた私事ですが、どうも私は、神やキリストに惹かれながらも、それ以外の書物を読む事が多いのです。それは完全な存在は出来て当たり前だと思っているからです。それよりも、この不完全な地軸や自転や酸素濃度であろう地球において、その不完全だった先人たちの苦悩に鍵が隠されていると、こうどこかで信じているからなのでしょう。

不完全ながらも完全性や真実を求めて苦悩した人物など、どうもそちらのほうがドラマチックに思えてしまうのです。しかし私もそこまでバカではないので、これがおおよそ幻想であること位は承知しております。何故そう思うのかと考えますと、繰り返しになりますが、目には目、歯には歯、不完全には不完全だからなのでしょう。

早く完全性を取り戻し、完全には完全という立ち位置から考えてみたいものです。しかし、それにはイエスの贖いに心からの感謝ですね。

贖いというのは「あ」が無いだと考えますと、「イエス咎無くて死」を思い出します。つまり「いろはにほへと」なのですが、五十音では「あ」が1番目であるのとはちがい、「あ」が36番目である事がわかるでしょう。6×6=36 だとの設計を施したのなら、これは贖いへの冒涜なのかもしれません。

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いろはにほへと ※いろは歌 と イエスキリスト
http://check.weblog.to/archives/2054664.html

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