必然

誰かを救うなんておこがましい、これを最近痛感した次第であります。

何かの切っ掛けとなることはできるかもしれませんが、救いに至る道を掴むのは御本人でしかないという事です。だからこそ、一人キリスト教という言葉にこだわっています。皆様お一人ひとりが真に納得され、ご理解された上でしか本当の信仰心は生まれないでしょう。となれば、あらゆる組織から学ぶにしても、その組織が抱える矛盾点をうやむやにし、長い物に巻かれているようではなりません。この世的な組織ならまだしも、真の宗教を謳う組織なら、人間的不完全さは別にしても、教理やら取り決めに付いては清くあらねばなりません。解読できない教理なら保留にしておけば良いのです。

さて、歴史という経験則から鑑みれば、あらゆる国家をはじめ組織とうのはいずれ解体する運命にあるでしょう。聖書に登場する神がもちいてきた組織にしても例外ではありません。なぜ神が導いてきた組織が解体させられなければならないのかと考えますと、それは必然だからでしょう。淫行やら偶像崇拝がはびこったので、神は彼らを庇護することができなくなったのでしょう。何度も解体という危機に直面しますが、キリストの贖いに至るよう、軌道修正を施すために幾人かの預言者などがもちいられたのは、皆さまもご存じですよね。

駆け足で書いていますが、以上の経験則を踏まえれば、現在の真の宗教を名乗る組織にしても、「立っている者は倒れる事の無いように」という聖書の教訓を忘れてはなりません。確かに私から見ても、エホバの証人が最も近い位置に座しているように思います。それはエホバの証人が血を避けているからです。しかし、どうでしょうか、私もよういいたくないのですが、かなり古くからエホバの証人に雑草が紛れ込んでいた疑惑を払拭する事はできません。サタンからすれば、全ての宗教が血を容認する事が好ましいのです。しかし、唯一エホバの証人だけが血を避けているとは、最後に彼らを矢面に立たせるが為の仕込みだった可能性もあるかもしれないと、こう考える次第であります。誰かをいけにえにする総括と、このようなシナリオを想定しています。

確かに血を避ける事は賢明ですが、高みにいるからこそ落ちた時の深みは恐怖であるでしょう。逆に考えれば、カルト宗教などはもともと深みにいるのでこれ以上落ちる心配もなく、666の刻印が配布されたら、拒んで上昇する人達もいるかもしれません。

さて、いずれにしても経験則をないがしろにしてはなりません。組織にいようがいまいと、お一人ひとりが真理に到達せねばなりませんし、あらゆる悪や矛盾を容認してはなりませんし、そこからでしか信仰は生じないと信じる次第であります。今現在聖書をお読みになっていない方がおられても、良心という心が聖書でありますので、なんとしても666の刻印を拒む決意を致しましょう。

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