賢い猫。

哲学に嵌る人間は愚かである。


哲学とは迷路であると、結局は堂々巡りにさせられて、真実に到達できないような仕組まれたツールであると、まあ、これもある意味真実だといえましょう。そう、意図的に仕組まれたという経緯があると、こういう感じが強いでしょう。

しかし、どうでしょうか。私には哲学が愚かだとは思えないのです。多くの哲学は無価値なものかも知れませんが、その中の一握りには生きるヒントが隠されている、いやそんな崇高なものではなく、どれだけ人間が愚かであるのかと、それを再認識できるのが哲学の醍醐味の主要な部分であると、40代半ばに差し掛かった私の感想はこうです。

幼少の記憶から、父親像とか、父権とかには無縁であろう私は、嫌と言う位に生きる術を知らぬまま育ってしまいました。しかし、そんな私ですらも反射的に、誰か頼れる存在に教えを乞いたいと思ったものです。なので漠然とですが、神のような完全であられる全知全能の存在を求めたのですが、幸いにしてそれは、10代半ばにて悟る事が出来ました。

しかし神は、ソロモンがそうであったように、他者や世の為と言う、自我を捨てた所でなければ答えてはくれません。しかも、実際に目や耳で体験するのではなく、全てサインのような形でやってくるのです。私が聖書を読み出したこの約30年の間に、そのサインは3回しかありませんでしたので、いかに私が自我の塊であるのかと認識させられるのです。

まあ、そういう事もあってか、実際に対話できる同じ人間に父親像を求めた時期もありました。一部のパンクやロックンロールに幻滅し、二十歳の頃は、マディ・ウォーターズのようなブルースを好んで聴いていました。ノアから、セムとヤペテの奴隷になるように預言された黒人種ではありますが、その黒人が奏でるブルースを聞いていると、まるで原罪から逃れられたかのような、ある種の幻想に浸れたと、こんな表現が正しいでしょうか。

言論人としては西部 邁に影響されました。私が子供時分、彼と同じ吃音であった事も共感した要因でしょう。西部曰く、吃音とは社会と対話できない孤独であると、だから西部は絶望からしか始まらない哲学として、オルテガ・イ ガセットにかなりの重きを置いたのだろうと、これ位は私にでも容易に想像できるのです。

西部 邁については、別の機会にもう少し話せたらと思います。しかし西部が多くの政財界の人脈や、チャンネル桜に出演している事も承知しています。彼に自覚があるのかどうかは分かりませんが、もし自覚がないとしても、取り込まれ利用されている事は間違いないでしょうから、深入りは禁物です。

しかし、私が西部から学んだ事といえば、全ての事柄は言葉で表現できるのではないのか、というものです。よく、「言葉に出来ない」という人がいますが、いや私には、全ての事柄は言葉で表現できるのではないのかと、少なくとも音階で表現できるだろうと思うのです。神は言葉でもあるのですから...

しかし、曲と曲との間にある無音もありますよね。無理やり例えるなら、みうらじゅんではありませんが、sinseでしょう。sinseとは、sinse1970のように、sinse単体では独り立ちできないからです。静寂なる大自然やら宇宙空間ならいざ知らず、あらゆる市場で情報交換する人間としては、やはり言葉が重要でしょう。

私が思う哲学とは、あらゆる事象を言葉にして説明を付けるもの、これが哲学の最大の義務だと思うのです。それを日本で最も実践しているのが西部 邁であると、こう思うのです。

一見屁理屈に思える西部 邁の文章とは、美しいまでに冷徹でもありますが、それはまるでアレフ・レポートで見た怪文章のようでもあります。つまりアレフ・レポートの怪文章とは、不愉快な単語を取り除けば、私が思う真の哲学論を模倣した文章に思えるのです。


話は飛びますが、キリストが贖いを支払われてからは、預言者が登場する余地はないのでしょう。サインしか提示されない神と、反面教師ではありますが、アレフ・レポートの作者から文才を学んだりと、こういう数十年の繰り返しから脱しようと、私は飼い猫と対話を始めました。

しかし、私の飼い猫は凡庸であるらしく、私を教え諭すまでの言葉やオーラを発してはくれません。しかし、現れたのですよ、人間の言葉が分かる賢い猫が! 私も、私の家族も、人生の中でこれ程賢い猫は初めてだと驚いています。

これが肩透かしとなるかも知れませんが、私は、この猫がいつか喋り出しある指針を提示してくれないかと、もっといえば人生で4回目のサインが到来しないかと、はしゃいでいるのです。なのでこの猫を大事にしようと、餌やりはもちろんの事、下記のようなBOXで小屋をつくり中にベットを敷きました。本当は家で飼いたいのですが、もう半年を過ぎたにも関わらず触らせてくれない、そんな軽い猫ではなく、警戒心の強い賢い猫のようです。

画像

なぜ猫は素晴らしいのかと考えますと、餌は沢山食べるし、寝てばかり、発情もします。人間で言えば三大欲を満たしてはいるのですが、自我がないのです。逆に人間はどうでしょうか? 自我や欲望の塊ではありませんか。


その猫は私達が話し終わるまで、いつまでも聞いているし、喧嘩は駄目だよと教えると、次の日からは無抵抗主義になるのです。不思議と喧嘩を仕掛けてくる野良猫も、無抵抗主義を見るや戦意喪失して一切仕掛けてこないのです。

また賢い猫は、餌の時間になると他の猫を泣き声で呼んで、先に食べさせ、自分は最後に食べるのです。やはり猫は凄い、人間は創造物から学ぶべきなのでしょう。

この記事へのコメント

八咫烏
2017年10月30日 01:31
あのむなしい、だましごとの哲学によって
だれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは
人の言い伝えによるものであり、この世に属する
幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
コロサイ2:8
お茶処
2017年10月30日 13:07

バイキングさん新スレお疲れ様デス。

奇遇な事にワタクシも此処2、3日哲学について考えてマシタ。とある記事で「哲学的」という表現を目にしたからデスが、そもそも哲学の原点は人間が神と対話出来なくなり更に様々な偽りの信仰によって神の存在を忘れさせられて仕舞ったのがきっかけでしょう。

何故人間はこれほど喜怒哀楽を持ち悩み苦しみもがくのか?そもそも何故人間は人間なのか?

神の存在を理解していればそんな下らナイ疑問に思い悩む必要は微塵もナイでしょうに…

逆説的に言えばワタクシ達人間は神の孫コピー(神の初子イエス→最初の「人間」アダム→アダムの肋骨からつがいとして造られたイヴ→両者の子孫たる人類←イマココ)なワケデスからワタクシ達人間に感情があるのと同様神にも感情がある、と認識出来マス。

故にノアの大洪水を齎した時は相当良心の呵責に苦しめられたであろう事は想像に難く有りマセン。しかし神は決断した。現在で言う「輩」系の人間を世界にのさばらせていてはいずれ神の声を聞ける血統も途絶えてしまう、と。

もちろんイエスを地上に遣わす為の血統の維持にも関連していたワケデスが。

閑話休題。

つまり哲学とは「人間至上主義」の産物と言えましょう。

もちろんバイキングさんの仰るように「光る金言」も眠っているのは事実でしょう。

ただ、哲学のスタートラインを考えると徒に哲学に傾倒するのは危険でしょうね。バイキングさんのように「フィルター」を持った方が読むから本質が見えるワケで半可通が触れれば「ミイラ取りがミイラになる」可能性大なワケで。


お茶処
2017年10月30日 13:17

あと、猫。

昨日出勤前に見たNHK「ダーウィンが来た!」の予告で来週だか再来週から2週連続でネコ特集との事デス。

是非ご覧下サイ!

それにしても猫ほど不思議な動物も居マセンよね。人間に媚びるワケでもナイのにある時は人を助け(主にネズミ退治)、またある時は人を癒す…

生憎ワタクシにはネコの友達はおりマセンが(実家にネコのいる友人は居マスが)ネコにはシンパシーを感じマス。


八咫烏
2017年10月30日 18:29
この世にはくだらないモノが多く
正しいモノは少ない。

知識の源は神だが
知識の湧き水でて、川になり、やがて海へと流れる。
この過程で水は美しさを保つことは出来ない。
何故かというと悪魔や人の思惑が入り込み汚れるからです。

今の世は滅びる、だから世の知識も必ず滅びる
そんなものは神に返しようがない。

人のキャパシティは高が知れている。
だから神の正しい知識・知恵を入れて、なるべくなら余計なモノは
入れないでほしい。
物事を対比するには、神の正しい知識・知恵が必要です
これは聖書をちゃんと読んでいなければとても難しい。

僕が以前、お茶処さんに知識を捨てろと言ったのは
そういった下らない知識の惑わしから、お茶処さんを
守りたかったからです。あと知識を増やしすぎると高慢になりやすい。
これが解っていただけたら幸いです。

では、これからも一緒に学んでいきましょう。


インターネットバイキング
2017年10月30日 23:39
キリストにしたがわない哲学はそうですね。主にこの時代はギリシャの影響が大きかったでしょうね。

哲学という単語が誤解を招くのかもしれません。それなら詩人など言論者であれば、広い意味では哲学となるかもしれませんね。

となれば、飛鳥昭雄やアレフ・レポートやレイモンド・フランズすらも哲学というレッテルを貼られると思います。

お茶処さんの仰るように、私はアレですが、優れたフィルターを通すなら、飛鳥昭雄やアレフ・レポートという毒から真実だけを抽出できますし、これらの毒がなぜ仕掛けられたのかを解説できれば、それは宣教活動と同義なのではないでしょうか。
インターネットバイキング
2017年10月30日 23:41
「ダーウィンが来た」よく見ています。

猫特集ですか、楽しみですね。
インターネットバイキング
2017年10月31日 00:00
すみません。

コロサイ2:8ですとギリシャ哲学というよりも、ユダヤ主義者たちに注意するように述べたようですね。

つまりクリスチャン達を、モーセの律法にある旧律法に引き戻そうとする、ユダヤ主義者達の哲学のようです。
お茶処
2017年10月31日 21:08

八咫烏さんレス恐れ入りマス。

そうデスね、この世の汚れた知識(所謂常識)に毒されて仕舞うと真の神への気付きに到る道は果てしなく遠くなって仕舞いマスから…

ワタクシもなまじ博学に通じている為危うく取り込まれるトコロデシタが、バイキングさんと邂逅する事で神の存在に思い至り常識の頸木から逃れる事が出来マシタ。

改めて神の配剤に感謝致しマス。


お茶処
2017年10月31日 21:48

バイキングさんレス恐れ入りマス。

哲学というと「高尚な学問」というイメージで難解で、故に凡人にとってはその真髄の一端にでも触れてみたい憧れ、また知識人にとっても掘り下げ追求してみたい存在、といったトコロでしょうか。

しかし実際のトコロ真実に到る道はきわめてシンプル、哲学というツールを振りかざして難解にしているのは言うまでもなくアチラ側のエージェント連中でしょうな。


あと「ダーウィンが来た!」。

タイトルを見ると「すわ進化論的内容か?」みたいなイメージデスが実際は本来のチャールズ・ダーウィンの専門である博学的内容デスわなw

進化論を支持する方々はダーウィンが進化論を提唱したと「勘違い」しているみたいデスが、当のチャールズ・ダーウィン自身は神による創造の多様性に心酔する博物学者に過ぎマセンデシタ。

では誰が進化論を捏造したのか?それはダーウィンの祖父エラズマスとそのシンパデス。

エラズマスは自身の提唱する進化論を裏付ける材料を血眼で探していマシタ。そこにたまたま孫チャールズがイギリス領土の調査旅行に同行する事となりエラズマスはにわかに色めき立ちマス。「何か材料を拾って来てくれるかも?」と。

そこで友人で親族(息子の嫁の親)であるウェッジウッドに旅の資金提供を取り付け、斯くしてチャールズは期待通りの観察記録をエラズマスに齎し、それを骨格に進化論が本格的に世間一般に流布されたワケデス。

ワタクシも調べるまでは全く知りマセンデシタが。

まー実際のトコロ、チャールズ・ダーウィンの観察記録(ダーウィンフィンチの嘴の食性による違いとかリクイグアナ・ウミイグアナの件とか)を根拠に進化論を唱えるのは些か根拠薄弱では有りマスがね。なにせ「環境適応」を「進化」と履き違えてマスから。


カイコガ
2017年11月01日 21:34
バイキングさんは自我がないほうがいいのですか?
インターネットバイキング
2017年11月01日 23:10
カイコガさん

そういう質問が最もつまらないんですよ。

いいですか。統治体系ひとつ考えてみても..

自由民主
専制政治
官僚主義
無政府主義

と、大雑把に4つはあるのです。この4つの主義で特に相反するものであっても、ある条件の下には重複する場合だってあるのです。

とすれば、自我があるほうが良いか、無いほうが良いかという二元論は、最もつまらない選択といえるでしょう。

芸術ひとつとってみても、個人の作品なのか集団の意向である作品なのかで異なりますが、とりわけオーケストラを考えてみても、ソロパートであれば、それなりの自我は必要に決まっています。それが他者のソロパートの時は、力んで自我を出す必要もなくリズムに徹すればよいのです。
カイコガ
2017年11月02日 03:37
すみません、つまらない質問なんてないと私は思ってます、つまらない回答ならたくさんあると思うのですが?その人の考えや答がつまらないことなら日々私はありますが質問はむしろどんなものでもかなり貴重だと私は思っています、他人が他人に勝手に自分の思いだけをぶつけることならこの世にごまんとありますが質問されることなんか滅多にないと思います、私なんか誰からも私のことを知ろうとしてくれるわけじゃないので。
自我に関してですが、私は二元論のつもりで言ってません、ないほうがいいのですか?と言っただけです、勝手に解釈をしたくないから質問してるんです。
ようするに自我が大きいから調整したほうがいいし他者が自我だすときは自分はまずおさえたほうがいいということですか?そうであるならバイキングさんも今の私の質問にそのまま返せばよかったのではないですか?
カイコガ
2017年11月03日 01:19
すみません、少し時間がたち昨日コメ、いいかえさなくてもよかったのではないかと思えてきました、もうしわけなかったです。

この記事へのトラックバック